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『がんばれヘンリーくん』

ベバリイ・クリアリ― 作

  松岡享子  訳

  ルイス・ダーリング 絵

学習研究社

1296円(税込)

 5月は、元気な小学生男子が活躍するお話をご紹介します。クリアリ―のもうひとつの人気シリーズの主人公「ラモ―ナ」が、ちいちゃな女の子の姿でちらりと顔をのぞかせています。

吉田真澄

 アメリカで出版されたのは1950年。それから遅れること18年後の1968年に邦訳されています。幾度も重版されながら、それぞれの時代の小学生から読み継がれてきたポピュラーな一冊は、もちろん、現代の子どもたちにだって、全シリーズ9冊を読み通してしまうほど、親しまれています。そういえば、幼い私に、アメリカという国、つまり、そこに住む人々とカルチャーをはっきり意識させたのは、この作家であったかもしれません。『ひとりっ子エレンと親友』や『いたずらっ子オ―チス』(ともにクリアリ―の作品、現在は出版されていません)の、大きな学校の長い長い廊下や、日常的に乗馬を楽しむ主人公たち、はきはきと意見を交換し合う男の子と女の子、といった、些細な、けれど当時の私が平時には目にしなかった場景は、すぐに思い出せます。大きなストーリーの流れより、こうしたディティールの方が記憶に残るというのは不思議な気もしますが、子どもの読書では、自分を取り巻く(小さな)社会と、語られているフィクションの世界の垣根が低く、両者の比較作業が、無意識ながらも周到に行われていたせいかもしれません。

 この本に収められた6話全てで、ヘンリーくんはやっかいごとに巻き込まれ―あるいは、自身でもめごとを招き寄せ―、自分なりに手段を考え工夫を講じた後、周囲の助けを借りながら解決していきます。臆病な子どもだった私は、物語を読み進むにつれ、なぜこんなにも立て続けに騒動を(主人公が)引き起こすのか、そのむこうみずで天真な行動力に気を揉まずにはいられませんでした。なにしろヘンリーくんは、出会ったばかりの大人たち、たとえばドラッグストアの店員やバスの運転手、さらには警察官まで、にだって臆せず話しかけ、いつだって自分の要求をはっきりと口にできるのですから。当時の私は、このシリーズ全体に漂う自由でおおらかな気風こそが、大国アメリカの慣わしであるのだと憧憬していたのでしょう。

 シリーズ第一作めとなるこの本では、犬のアバラ―に関するエピソードが、何といっても勘所です。二人(ひとりと一匹)の出合いから始まったストーリーは、最終話でひとつのクライマックスを迎えます。迷い犬だったアバラ―の、もと飼い主だと主張する少年が現れたのです。この時のヘンリーくんの葛藤、もう後が無い切迫感には、今読み返しても息が詰まります。大切なものの大切さをフルスケールで再認し、それを真っ向勝負で掴みとろうとする主人公のがむしゃらな熱意。仮借ない愛情を持ってアバラ―と向き合う少年の一途さは、未来へ続く彼の限りない可能性を思わせました。

 どのお話も、深刻に悩みを掘り下げず、主人公の感情を軽快に語ってみせます。現実はそんなに甘くないかもしれませんが、チャーミグに描き出された彼の長所と短所を読み進めるうちに、いつしか読者は、運さえ味方につけたその突破力を当然のように受け容れてしまうのです。幼い人たちは、夢みる力を漲らせ、大人よりずっとずっと選択肢が多い毎日を生きています。自分のことはもちろん、自分以外の誰かを肯定し、困難に立ち向かいながら、楽しいばかりでは決してない子ども時代を必死で生きる―クリアリ―の物語を読むと、この子たちには、紛うこと無き希望がある、それは本当に凄いことだし寿ぐべきことだといつも思うのです。

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