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思い出の青い丘

 

                     R・サトクリフ 著
                        猪熊葉子 訳
                          岩波書店
                       2592円(税込)
                        ※現在品切れ
 

 優れた物語の創り手とは、幾つもの人生を語れるのと同様に、何度でも再生できる人なのかもしれません―もちろん精神的に―。紡がれる言葉の清冽さは、作者が消化してきた悲しみや喪失の嘆きと地続きであったのだと、この本がしなやかに伝えています。

 

吉田 真澄

 サトクリフの物語は熱い、そして厚い。ローマン・ブリテン三部作をはじめ、青銅時代を舞台にした歴史小説など、苦しい出自を背負わされた戦乱期を生きる主人公たちの葛藤と成長が、現代の私たちと変わりない姿で鮮明に描かれます。先を読むのが辛くなる瞬間もあって、三歩進んで二歩下がるというふうに、咀嚼にたっぷりと時間を掛けながら物語の世界へ分け入っていくのです。“すぐにわかる”ことを優先し、且つ、解決や癒しに即効性を求め過ぎる今の読書の風潮とは真逆と言えるでしょう。ですから、万人に推薦したいとはとても思えません。でも、斜め読みを許さないこんな作品こそが、読書の胆力を鍛えてくれるのだと私は考えてきました。

 20世紀の後半、約半世紀にわたり、ヤングアダルトや少年少女に向けて、こうした多くの作品を発表し続けたローズマリ・サトクリフ。ひとりの女性としての彼女がどんな人間であったか―その生い立ちから作家デビューに至るまでの半生を、サトクリフ自身がこの本で語っています。海軍大尉だった父のこと、本が好きな美しい母のこと、そして、二歳で患ったエスティル氏病によって歩行が困難になった自身のこと。障害がある故の苦難はむろんつきまといます。しかし、全編を統べるのは、勝れて鋭敏な感覚に恵まれたある人間の視点で映し出される、様々な場面、記憶、そして心情であり、彼女の障害は、その清廉な人間性を形成する材料のひとつでしかないとさえ読者には思えてくるのではないでしょうか。と同時に一方で、彼女が繰り返し自身の作品の中で書いてきた、生まれつきハンディキャップを持った者たちの迷い、そして本然に辿り着くまでの容易ならざる軌跡の意味に迫れたのだと気付きました。

 

自伝が始まってすぐに明かされるのは、作者の「最初の記憶」についてのエピソードです。それは、サトクリフが生まれてから十八カ月経った頃のことで(?!)、母親の押す乳母車に乗って訪れた公園で、小さな檻に捕われた赤リスを彼女が見たというもの。狭い空間をせわしくかけまわっていた赤リスを見た瞬間の思いをサトクリフはこう語っています。

 

それを見たとたん、世界じゅうの苦しみと、ありとあらゆる罪と悲しみと、
すべての不正、人間の人間に対する非人間的な行為とがひとつの巨大な怒りの波となって、
十八か月の私の頭におしよせ、私をのみこみました。
私はまだそれらと戦う準備ができていませんでした。
私は檻をちらと見ると、苦しみと怒りの叫びをあげ、何をもってしても慰められず、静まれもしませんでした。

 驚くほどの激しさ。理不尽なものに対するストレートで歪みの無い怒りが、ぼやけた私の視界を一新しました。十八か月の記憶と聞いてほんの少し覚えたとまどいを吹き飛ばしてあまりある鮮烈さです。(そして、この記憶が確かな事実であったことが、のちの母親によって証明されます。)後年、不幸な飼われ方をしていた犬を救い連れ帰った父親と、愛犬となったその足の不自由なレトリーバーとの睦まじい様子や、次に家族となったエアデ―ル犬についての記述にも多くのページが割かれ、二匹が息を引き取るその時まで、どれだけ愛を持って共に時を過ごしたかが詳細に語られています。ああ、やはりそうだったのか、とサトクリフの作品の読者なら閃くでしょう。彼女が幼い人向けに書いた『小犬のピピン』や『竜の子ラッキーと音楽師』の起端をそこにありありと見るからです。

自力での歩行が困難だったサトクリフは、ほとんど学校に行きませんでした。献身的な母親の世話を受け、自宅と病院を行き来しながら、幾度かの手術にも耐え、幼少時代を過ごしています。しかし、周囲の自然や動物から感取する滋養、そして、自分に向けられる言葉や視線から学ぶ処世訓が彼女の内面を育み拡張します。とりわけ読書による恩恵は、大きかったのではないでしょうか。
九歳になるまで文字を読めなかった彼女は、それを「母のせい」だったと記します。「母が楽々と読み、そしてまたよろこんで読む人だったというのが、奇妙なことにその理由」で、「読んでもらっていれば、自分で読むことのできる物語よりも、ずっと内容的に進んだ物語ととりくむことができるから」と分析しています。加えて、最初から自分が楽しめないようなものは決して読まなかったという母親は、「どんな子どもでも―中略―必ず楽しむであろう質のよくない読みものは切り捨て」る徹底ぶりで選書をするのです。なんという贅沢な環境でしょう!当時、愛読した物語の作者は、ビアトリクス・ポター、A・A・ミルン、ディケンズ、スティーブンソン、ハンス・アンデルセン、ケネス・グレアム、そしてキップリング。まさに錚々たる顔ぶれです。また、ギリシャ神話や、『ポンペイ最後の日』『エジプトの女王』などの歴史小説は、母親の最も好むところだったと書いています。自分ひとりで読めないとはいえ、いっぱしの堂々たる読書家です。

 


 サトクリフが七歳になったとき、読むことを学ばせたいと考えた母親がとった行動は、本を読ませたい現代の親と、易々とはその術中には嵌らない子どもとの攻防にも通じ、大変興味深く読みました。(その顛末を読んで確認されてみてください)。数年後―もちろん、自分で読む楽しさを存分に味わえるようになっていた―サトクリフは、殺伐とした入院生活のさなかに、モンゴメリの『可愛いエミリー』と出合います。まるで魔法をかけられたようにこの本に魅せられたサトクリフでしたが、出典はおろか、作者さえわからないまま、いつしかこの作品のことは記憶の彼方におしやられます。しかし、自伝を書き始める前年、友人との手紙のやりとりをきっかけに、とうとうこの本との再会を果たすのです。

  今や本を手にしたものの、私はそれを開いて読みはじめるのがこわいような気持ちでした。
  それはちょうど、何年も昔、幸せに過ごした場所にもどっていったり、あるいは昔の恋人に出会ったりするのにちょっと似ていました。
  あの本の特別な価値、魔法はまだそこに消えずにあるのでしょうか?―中略―
  その夜私は本をベッドに持って入りました。そして、それを開き読みはじめました。
  魔法は依然本のなかにありました!―中略―
  なぜならそれは、『可愛いエミリー』のなかに入りこんでしまっていて、そこにとどまり、私を待っていたからです。

 この感覚、確かに私も持っています。しかし、柔らかで勁いサトクリフの一節一節は、清水が身体に沁みとおるように感じられるほど新鮮です。
娘を護ろうと必死になる両親との軋轢や、辛い失恋についても語られます。融和しきれない事実を懐に抱いて、しかし、生きる哀しみから決して目を逸らすまいとする覚悟を感じる筆致です。「私には傷つけられる権利がある」とサトクリフは書きました。この言葉に、芯と筋の通った彼女の作品の基幹が凝縮されています。サトクリフは誰よりも知っていたはずだからです。喜びと哀しみ、美しさと醜さは、いつだってふとした弾みで入れ替わり、俄かに輝きはじめるということを。今をいかに生きるかが過去の意味を判ずるのだということを。

 

「昔ローズマリ・サトクリフは私の娘だった。しかし今では私がローズマリ・サトクリフの父なのだ」。作家として有名になった娘を、老いた父はこんなふうに周囲に自慢したそうです。今、書くことの喜びを手にした彼女。しかし、これまでのどんな局面でも矜持を手放さず、彼女は険しい道を孤独に歩んできたのです。そんな娘を誇りに思う父親からのこの祝辞(少なくとも私はそう受けとりました)とともに本書は閉じられます。ヒリヒリする切なさとやりきれなさを内包していながら、それでも読んでいて心が潤う芳醇な一冊です。

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