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キツネどんのおはなし

ビアトリクス・ポター さく・え                      いしいももこ やく                          福音館書店                         756円(税込)

今年は、ポター生誕150年とのことで、各地で展覧会も催されているようです。生きることを語るためには死を避けられないし、美しいものを表現するためには悲しみから逃げられません。ポターに限らず、「児童文学」という範疇を越えて読み手の心を捉え続ける作家たちは、そうした独自の深みを意志として持っていると感じます。

吉田真澄

 クライマックスに向かってじわじわと加速していく熟達の筆は、講談のようにつるつると滑らかでいながら、一言一句に凝らされた意匠の手応えを感じさせます。ポターの作品に馴染み深い読者には言わずもがなの補説でしょうが、野生動物が生き延びるための知恵と執念が、簡潔にして豊かな言葉で語られていくのです。厳しい自然界の摂理を土台に据えたファンタジーと、写実的な本物の素描。動物たちはみな服を身につけてはいますが、その肢体は骨格から正確にデッサンされ、多彩な絵の具で濃淡を醸した森や古い家々といったリアリスティックな背景とも一体を成しています。相好を崩さない無表情な彼らは、しかし描かれる角度や口の開け閉めによって、内面をほんのりと顔に滲ませるのです。だけど、それ以上の擬人化もセンチメンタルな脚色もありません。弱肉強食という不寛容な舞台では、ウサギは常にキツネやアナグマの脅威に怯え、もちろん気を抜けば命の保証はないのです。本来は勧善懲悪もハッピーエンドもない冷厳な動物たちの生態を、おかしみとドラマ性を加味した明晰な筆致で描き出します。

わたしは、これまで おぎょうぎのいいひとたちのおはなしばかり かいてきました。そこで、こんどは 気をかえて、ふたりの いやなひと――アナグマ・トミ―とキツネどんのおはなしを かいてみようとおもいます。

 お話の冒頭から、捕食者である彼ら――アナグマ・トミ―とキツネどん――の好もしくない容貌や、不粋なたたずまいが、これでもかと繰り出されます。しかし、どれだけ「いやな」やつらだと書き連ねても、きびきびとした語りには気品が漂い、毅然たるテキストは、決して俗悪に流れません。

 さて、狡猾だけれどどこか間抜けなキツネと、ものぐさでいながら計算高いアナグマ。その全ての行動をアナグマに見抜かれていることを知らず、キツネは懸命に―アナグマにひと泡吹かせるための―準備を進めます。ロープを咥えて俯く姿が、忠犬のように健気にも見え、つい読者の頬も緩んでしまいそうです。一方、慇懃に眠ったふりを貫くアナグマは、だらしなく開いた口元にも余裕が感じられます。動物たちはにこりともしませんが、ひとつずつのエピソードを丁寧に扱うことで、そこに関わる彼らの内面がおもしろいほど透けて見えます。そう、私たちのすぐそばにいる誰かにもあてはまりそうな、そんな親近感さえ覚えるのです。もちろん、それは、悪役のこの2匹に限りません。まんまとアナグマにしてやられるやもめのじいさんウサギも、さらわれた小ウサギを奪還すべく敵地に乗り込むベンジャミンやピーターも、瞠目するほどに立派なパーソナリティーの持ち主なのです。

 ポターが紡ぎだす世界は、どの絵本のそれとも違う静かな迫力を湛えています。残酷さや悲しみもきちんと語る確かな威厳が、読めば読むほどじわじわと癖になり、いつしか最も信頼できる旧友のように思えてきました。それぞれの領域で懸命に生きる動物たちと同様、出来事にだって堂々と個性があって、まったく同じことなど起こり得ません。そのひとつひとつを象ったポターの作品を読んでいると、先を予測できない私たちの日常にも、であるからこその自由が斉しく存在しているのだと感じられるのです。

子どもの本だより 146号 2016/9/30配信

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