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『元気なポケット人形』

 ルーマー・ゴッデン 作
                        猪熊葉子 訳
                          岩波書店
                           品切れ

 ルーマー・ゴッデンによる人形を主人公にした物語のなかの一作です。彼女の物語を読むと、悲しみと喜びが裏表になったこの世界で、私たちは生きているだけで意味があるのだと思えます。難しいことなんかちっとも語られていないのに、何か美しいものを受けとったような気持ちになるのです。それから思うことがもうひとつ。人は何とはやく大人になるものか、ということです。

吉田 真澄

人形たちはもちろん話すことはできません。できるのは、ただねがうことだけです。

ある人たちだけがそのねがいをかんじとるのです。

 主人公は、かたい瀬戸物でできた10センチほどの人形で、目は青、口は赤、頬はバラ色に塗ってあります。黄色い髪は、糊でしっかりと頭にくっつけられていて、ブルーのリボンが結ばれています。その人形にジェインと名付けたのは、最初に人形の持ち主となったエフィでした。まだロンドンの街にガス燈がつき、人々は馬車で移動していた時代です。ジェインは、馬や、空に舞い上がる羽子板の羽根や、兵隊が吹くラッパの音に憧れ、外出を願います。しかし、その声は、エフィに届きません。冷たくて居心地の悪いビーズのクッションに座らされたジェインは、人形の家に閉じ込められました。ジェインはさらに願います。「あたし、ポケットに入りたい、ポケットに、ポケットに」。

 やがて、成長したエフィに替わって、エリザベスが人形の家の持ち主になり、裁縫の得意なエリザベスは、ジェインのために服とマフを縫うのですが、それはジェインのしてほしいことではありませんでした。エリザベスのあとはエセル、エセルが大きくなったらエレン……50年もの月日を、ジェインは様々な少女の手に渡りながら過ごします。人形の家を閉めっぱなしにしているエレンに向かってジェインは諦めずに願います。「あたしをだして」と。からだに「ひびが入りそうなくらい」強く強くジェインは願いましたが、エレンは何も感じません。ある日、そんなエレンの家へ、いとこの男の子、ギデオンがやってきます――。

 女の子の手から手へ、幾世代も旅を続けるジェイン。時間というものと、それがもたらす恩恵を思えば、無為なその流れほど残酷なものなどありません。でも、同時に、限りない可能性を与えてくれるものでもあるはずです。ジェインがようやくギデオンと出会えたようにです。

 作者ゴッデンが、自作の中で幾度も書いてきた“人形が願う”ということ。それは、受けとり手である私たち人間が、想像力によって、自分たち以外の――ここでは人形の――視点で周囲を見つめ直すことなのでしょう。確かにこれは人形のお話だけれど、私たちだって、全てを言葉にできるわけではありません。だから、想像し、思いやります。その行為は、相手を尊重するとともに自身をも大切にできる豊かさを形成するのかもしれません。

 人形のジェインが「あたしをたすけて」「あたしをどこかへつれてって。エフィや、エリザベスや、エセルや、エレンがあたしをここにずっととじこめていたんだもの。ギデオン、ねえ、おねがいだから、ギデオン!」と、「ひびが入っちまいそうな」ほど強く願い、それが通じたかのように、ギデオンがジェインをひょいとつまみあげてポケットに入れた時、読者は“やった!”と胸を躍らせるでしょう。もちろん、ギデオンとそのポケットの住人となったジェインには、わくわくする日々が始まります。ギデオンは、(ポケットの中の)ジェインとともに、ブランコを漕ぎ、スケートを滑り、木にだって登りました。ジェインは、落ちないようにポケットのふちにしっかりつかまりながら、外の世界をのぞきます。ちっともこわくなんかなかったのです。やっと訪れた幸せな毎日に、ジェインは胸をときめかせます。

 しかし、ギデオンは、エレンに何の断りも無く、ジェインをポケットに入れて連れてきてしまっていました。「ぼくはどろうぼうなんだ」という呵責が、ギデオンを苦しめ、ポケットのジェインを鉛のように冷たく重く感じるようになっていきます。また、年上の男の子たちから、人形を持っていることを痛烈にからかわれ、屈辱感にも苛まれます。腕白な少年ギデオンの心の柔らかい部分、誠実で、意志の光が宿る本当の気持ちが、このあたりの心の描写で丁寧に語られていきます。心をひとつにしたギデオンとジェインが、この難所を乗り切ってくれるよう読者はきっと祈るはずです。

 心をひとつに、と私は書きましたが、ギデオンは、もうひとつの心―ジェインの心―を手にしたのでしょう。生まれては消えていく些細な感情が、ジェインの存在により、具体的に且つ多角的に語られる手法です。何が起きたかではなく、その出来事を登場人物たちがどう捉えたか、に重きを置いた物語。けれど、べたべたと甘い描写は一切見当たりません。むしろ、乾いた透明感を魅力に感じます。高い純度で人間を見る作者の眼差しが、作品を盤石に支えているのです。

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